希望がかなわないことを組織のせいにしてはいけない

体験談

「師事すべき人物は必ずどこかにいる」の続きです。)

公務員採用試験時の面接では、必ず聞かれます。
「希望通りの部署に行けないこともある。それでもいいか?」
本音は別にして、その問いに大抵の受験生は必ずこういいます。
「はい。」
この面接官の言葉が後々自分にのしかかってくるのですが、入ったばかりの頃は別に気に留めることもないでしょう。

いつかは自分の思いが通る。
誰かがすくい上げてくれる。
勝手にそう思い込んでいる人に会ったことがあります。

人事は人間が考えるもの。
大きな組織を相手に自分の思いをかなえるためには、使えるツテを最大限利用してあらゆる手段でコネクションを広げ、人事権限のある人物に「そうだな、お前のいう通りだ」と思わせなければいけません。

とある若手の話です。

彼は入庁当時からある研究機関への勤務を希望していましたが、採用当時から配属してもらいたい所属に向けて何の自己アピールもしなかったし、自分の特性や志向をいろんな人に分かってもらう努力もしません。
その時に居合わせた所属長に、ただ、行かせてくれと言い続けるだけでした。

自分が異動できないのはすべて所長のせい。
所長がその上に話を持っていこうとしない。あるいは上に持っていく力がない無能な上司だ、と考えていました。

ある年、ついに彼は人事の不満を理由に仕事のボイコットまでも始めてしまったのです。
彼は大事な事業の主任者に当て込まれていました。
年度当初のタイミングでしたから、その年の業務は大変混乱してしまったのです。

希望が通らないこともあると警告されながらも「自ら望んで」自治体に入ってきたはず。
思いが通らないからと言って仕事に大穴を開ける行為に至るのは、常識を持った社会人がやることではありません。

彼の申し出を受けたとある所長がわざと上に話を持っていかなかったのかもしれない。しかしそれは、彼は推薦するに足る人材ではないと、その所長が判断したからではないのでしょうか。

彼の申し出を上に話を持っていく能力がなかった所長もいたかもしれません。ならば早々とその所長を見切り、他の所属にいる人事に影響力のある人に自分を積極的にアピールすべきではないのでしょうか。

誰かがきっと自分の居場所を見つけてくれる。
自分は悪くない。

そういう彼をモデルにして書いた「衛生獣医、木崎勇介」平成28年早瀬のお話の中では、彼は自ら退職を選びます。

しかし、現実のオチは違いました。

実在の彼はまだ自治体に勤務しています。

彼の行動は未だに私には理解できませんし、この先彼がどうなっていくかには私はあまり興味はありません。

ただ、こう思うのです。

希望がかなわないからといって、仕事を放棄しても許されるのか?
仕事に大穴を開けられたにもかかわらず、組織はそういう人物にも給料を払い続けなければいけないのか?

みなさんは、どう思われますか?

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