一平と川島を乗せた銀色の軽自動車が郷浜の住宅地をゆっくりと進んでいく。
やがてコンクリート造の三階建てアパートに着いた。
アパートの脇に車を止め、サイドブレーキを引く。
「ここかな?」
「はい、ありがとうございました。」
「いいとこだね。駅も近いし買い物も便利そう。自分で探したの?」
「ええ。最初、職員アパートはどう?安いよ、って言われたんですけどね。」
「郷浜食検って決まってからすぐ、ネットで探して決めちゃいました。」
「そうなんだ…。」
新しくはないけど、鉄筋コンクリート造り。
快適そうだよな…。
「あ、車はどうするの?まだないんでしょ?」
「もう手配してます。来週には納車できそうだって言ってました。毎月コミコミ定額、ってやつです。」
!
そうか…。
その手があったか…。
「新車なんだもんね?」
「ええ。」
川島がにこにこしながら答えた。
「あ、田中さん、渡辺さんから言われてたんですけど、本当に明日もお願いしちゃってていいんですか?」
「え?あ、ああ…、大丈夫、大丈夫。俺が迎えに来るよ。」
じゃあまた明日、と言い、川島と別れて車に戻った。
大通りに向かって車を走らせる。
ふう…。やれやれ。
やっと一日目が終わった…。
と、スマホの着信音が鳴る。
美咲からのメールだ。
車を駐車帯に寄せてスマホをチェックする。
“お母さんが天ぷら揚げるから一平さん呼べって。”
お!天ぷらはウレシイぞ!
”行きまーす!“
急いで返信し、美咲の自宅、上村写真館へ車を飛ばした。
写真館のドアを開けると、美咲がカウンターの奥から顔を出した。
「いらっしゃい。来れてよかった。」
「あー、もう腹へっちゃっててさ、すっ飛んで来たよ。」
「今日、初日だったもんね。大変だったでしょ?」
「そりゃあもう…。前やってるからって、すぐこき使われちゃってさあ。」
あはは、と美咲が笑う。
「支庁もみーんなあたふたしてたよ。私は売り場でぽーっと見てただけなんだけどさ。」
「なんかいつも見たことないスーツの団体さんが、バタバタとあっちに行ったりこっちに行ったり。かと思えば、お昼もとっくに過ぎた頃に、ヨレヨレのワイシャツ姿のオジさんがトボトボやって来てさ、パンください、って言われたり。」
「はは、ヨレヨレはよかったなあ…。」
「あ、衛生課の松本さんだったっけ?一平さんと同じとこだった人。」
「あの人も誰か連れてバタバタと走ってったわね。」
初日早々、なんかあったんだな…。
「まあ、入って。」
うん、と言い、カウンター奥の自宅に入ると、上村写真館の常連で近所の八百屋の店主、七郎おじさんが缶ビールを持ったままクルリと振り向いた。
もう顔は、いや、ツルッパゲの頭のてっぺんまで、真っ赤だ。
「お、来たねえ!若者!ま、座れって。」
「こんちわ。もうやってんですか?あれ、おじさんだけ?」
奥の台所で天ぷらを揚げている美咲の母、里子が振り返る。
「いらっしゃい。お父さんは今、大急ぎで写真焼いてるとこ。終わんなきゃ天ぷらやんないぞ、って言ってるから。」
里子がニヤリと笑う。
「まあ、食べてって。今日は七郎さんとこからたーくさん野菜いただいちゃったから、野菜の天ぷら大会よ。」
「里子さん、手間かけちゃってすまねえなあ。」
七郎おじさんは缶ビールを片手に上機嫌だ。
「ほら、かき揚げ、揚がったわよ。」
里子が揚げたてのかき揚げを新聞紙の上に山積みにし、テーブルにどさっと置く。
「ひょー、こいつは旨そう!」
「ほら、一平さんもやんなよ!」
七郎おじさんが缶ビールを一平にぐいと差し出す。
「あ、すいません、明日朝早いんで、今日はお酒やめとこかな、って。」
「ふーん、そうかい。そりゃ残念だねえ。」
七郎おじさんが口を尖らせるのを脇目に、じゃあご飯にする?まあ座って、と里子が促した。
一平がテーブルに着くと、美咲がほかほかのご飯をよそった茶碗をことりと置く。
「朝早いの?」
「そう。明日朝、新採君を迎えにいかなきゃいけなくて。通勤時間帯に駅方向に突っ込まないといけないから、早めに行っとかないと車混むからさ。」
「へー、新しい人、来たんだ。よかったね。」
「うん。見るからにフレッシュ、だよね。二人だよ。こっちも気持ちが新たまる、っつうか、ね。」
「俺もああだったのかな、なあんて。」
一平が箸を取り上げながら笑う。
「いっぱい食べてってね。」
そう言いながら美咲が、あ、お母さん、それ私持ってく、と台所の里子の手助けに向かった。
どれどれ、と山盛りのかき揚げをひとつつまむと、小皿に乗せた塩をちょいと付け、ひと口齧る。
衣がさくっと音を立て、玉ねぎとニンジンの甘い香りが口いっぱいに広がった。塩のおかげで、噛めば噛むほど旨味がぐいぐいっと口の中に押し寄せてくる。
すかさずご飯を口にほうり込み、かき揚げと共にもぐもぐとかみしめた。
ご飯の甘さと野菜の甘さ。そして香り。
あー、もうたまらん!
ものも言わず、すかさずもうひとつ取り上げ、がぶりと食いついてまたご飯をワシワシとかき込む。
「ほい、今度はいも天。」
里子がさつまいもの天ぷらを、またまた新聞紙に山盛りにしてどさりと置いた。
「ひょー!こいつはすげえ!」
七郎おじさんが小皿に醤油をちょいと置き、ひとつつまんでパクリと口に放り込む。
「おー、うめえぞお!一平さん!はよ食えって!」
「あい!いただきまーす!」
七郎おじさんを追いかけるようにして、ぱくりと食べる。
「うんまー!」
「だろ?」
どはははっと笑いながら、七郎おじさんが缶ビールをぎゅーっと飲み干した。
「あ、すまねえ、美咲ちゃん、もう一本くんねえか?」
「はいはい。」
美咲が笑いながら冷蔵庫を開けていると、店の方から美咲の父、直之がのそりと入ってきた。
「おいハチ、さっきから聞いてりゃ、うめえうめえ、ってよ、ちっとも仕事に身が入らねえじゃねえか!」
直之が髭面でギョロリと睨む。
「おお、悪りいねえ。まあ食いなって。」
「食いなだと?このタコ坊主!ここは俺んちだぞ!」
「これ全部うちの野菜なんだから、まあいいじゃあねえか。ほれ。」
七郎おじさんが美咲から缶ビールひとつ引ったくると、直之の前にドンと置いた。
直之は、ちっ、と舌打ちした後、どかりと席に着くやいなや、かき揚げをつまんで塩をちょいと付け、がぶりとかじりついた。
「おお、こりゃうめえな。」
缶ビールをがしゅっと開けてぐびぐびと喉に流し込む。
「ぷはー。たまんねえ。」
顔を上げた直之が、ようやく一平と視線を合わせる。
「おう、一平さん。まあ食ってってな。」
そう言うと直之は、片手の缶ビールを離さないまま、さつまいもの天ぷらをふたついっぺんに小皿に乗せ、醤油をちゃちゃっとかけた。