山本が検査所事務室の応接セットの前にあるテレビに近づく。
テレビの隣には、古ぼけたディスプレイモニターがちょこんと置いてあった。
山本がモニターの電源を入れた丁度その時、午前中の現場検査を終えて戻ってきた職員が、バタバタと事務室に飛び込んできた。
「次長、どうなってますか?」
肩で息をしながら、山田が山本を見る。
山田の後ろには川島、岸田の姿がある。
「今、簡易検査の結果を見るところだ。」
山本は内線電話の受話器を取り上げ、細菌室につなぐ。
2コールで木村が出たことを確認し、内線電話をスピーカーモードに切り替えてモニターに向かった。
「あ、山本です。モニター、点けたよ。」
はい、という木村の声が遠のき、細菌室内のざわつきが聞こえてきた。
どうやら細菌室側も内線電話をスピーカーモードに切り替えたようだ。
「今、出しますから。」
やや遠目の声がする。丹羽が無菌室のスライドドアを少し開け、細菌室の内線電話に向かって怒鳴っているらしい。
モニターの画像が何やらがちゃがちゃと動いた後、2本の毛細管のクローズアップ画像が写し出された。
「どうやら沈降線は見えませんね。次長!そちらでも見えますかあ!」
丹羽が怒鳴る。
「おう、よく見えるよ。」
「そうだな、アスコリー陰性でいいんじゃないか?」
山本の隣でモニターを覗き込んでいた川島が振り向き、岸田にヒソヒソと囁く。
「これって、なんでしたっけ?」
「あのな、お前…。アスコリーテストだよ。」
岸田が顔をしかめる。
「アスコリ?」
「そうだよ。国試対策でやってなかったのか?」
「ああ、そういえばあったような…。」
暫し天井を仰いだ岸田は、川島を睨みつける。
「炭疽の診断用血清とサンプル乳剤を重層する。陽性なら境界部に白濁リングが形成される、ってやつさ。」
「ああ…、そう、そうでしたねえ!」
えへへ、川島が頭を掻く。
「そのぐらい覚えてろよ!学校出たばかりのくせに。」
「すみません…。あ、岸田さんは見たことあったんですね?」
「いや…、ない。俺も見るのは初めてだ。」
岸田が気まずそうに川島から目を逸らし、モニターを見つめた。
あ、そうなんだ、と聞こえないぐらいの声で小さく呟き、川島もモニターに目を移す。
「あとですね、直接鏡検なんですけど、」
内線電話から丹羽の怒鳴り声がする。
「ちょっと待ってて下さい、カメラ切り替えますんで。」
モニターの画面が一瞬、真っ暗になった。
数秒後、モニターが再び明るさを取り戻し、今度は顕微鏡画像が写し出される。
視野がひっきりなしに動き回った後、ようやくピントが合ってきた。
組織片や血球と共に、連鎖した長桿菌が写し出された。
「こいつですね。どう思われますか?」
丹羽が怒鳴る。
「竹節状の大桿菌、って感じには見えないな。」
「俺も違うと思います。セプティカムかな、って。」
またしても川島が、セプティカムってなんでしたっけ?と、背後にいるはずの岸田に囁きかけようとしたその時、いつの間にかモニターから離れていた山田が、つかつかと川島に歩み寄り、べしっと川島の背中を叩いた。
「ほら昼休み終わったよ!行くよ!」
え、俺まだ食ってないんすけど、と言う川島を蹴飛ばしながら、山田が事務室を出ていく。
岸田は苦笑しながら川島の机からコンビニのレジ袋を拾い上げ、山田に続いて出ていった。
再び静まり返った事務室に一人取り残された山本は、小さく苦笑した後、内線電話に向かう。
「よし、病畜処理室前にいる消毒班には、そのまま待機するよう指示しとく。」
「PCRで最終判断する。」
「丹羽さん、何時頃になりそうだ?」
「あと2時間、ってとこです!」
今度は内線電話から木村の声がした。
「わかった。よろしく頼むな。」
「次長、病畜処理室の連中、大丈夫ですか?」
丹羽が叫ぶ。
「ああ、そうだな。こっちから声かけとくよ。簡易検査の結果も教えとかないといけないし。」
「お願いします。こっちからの連絡、待ってると思いますんで。」
「そうだな。すぐやっとく。」
閉じ込められた連中のこと、すっかり忘れとった…。
山本が思わず苦笑する。
「あ、そうそう、丹羽さん、画像の記録、よろしくな。」
「大丈夫です。顕微鏡画像も動画だし、アスコリー撮ったビデオカメラも回しっぱなしなんで。あ、俺らのやり取りも全部撮れちゃってますねえ。要ります?」
え…。
「あ、ああ。そのまま残しといてくれよ。」
じゃあ引き続きよろしく頼む、と内線電話を切った。
丹羽め…。
抜け目のない奴だ。
自席に戻ってどかりと腰を下ろした後、ふう…と、静かに、しかし長く息を吐き出す。
大きく息を吸い込んだ山本は、受話器を取り上げ、県庁生活衛生課の短縮ダイアルボタンをプッシュした。