食中毒に遭遇した食品衛生監視員の思考

仕事内容

保健所の食品衛生監視員(食監)が食中毒に遭遇した場合、どのように思考をめぐらせ、対応しているのか。

岐阜県で発生したこの事例を辿っていきながら再現してみようと思います。

<探知した日(0日目)>
2020年9月18日、「園児20人が胃腸炎症状を示している」との連絡が、岐阜県の保健所に入ります。

行動も食生活も全く異なる、様々な家庭から集まってくる園児。
その園児達に、ほぼ同じタイミングで、しかも20人も、胃腸炎症状を起こさせるとしたら…。

この電話を聞いた食監は、すぐさま3つのシナリオを頭に描きます。

1 ある日に保育園で提供された給食を原因とする食中毒
2 給食ではなく、ある日に別のイベントで提供された飲食物を原因とする食中毒
3 食中毒ではなく、初発の園児がいて、その園児を起点として他の園児に一気に伝播した感染症

そして直ちに保育園へ調査に向かい、以下の作業を開始します。
なお、被害がさらに拡大するのを防ぐため、保育園には給食提供の自粛と調理施設、ホールやトイレ、遊具、水場等の清掃・塩素消毒を要請しておきます。

探知当日の主な作業は、次の5つ。

①園児・職員全員の行動の把握
全員の出欠状況、過去2週分程度の行事・給食メニューなど
②園児・職員全員を対象に、一人につき一枚の個別調査表の作成
性別、年齢などの基本情報に加え、発症の有無と症状、発症時間、医療機関への受診と治療の有無、給食の喫食状況など
③調理施設の拭き取り検査
④検食(給食として提供した食事・原材料の冷凍保存品)の回収
⑤園児・職員全員を対象とした検便検査依頼

③④⑤は、採材当日中に保健所の検査室に搬入し、食中毒起因菌の検査を開始してもらいます。

探知当日の聞き取りにより、飲食物を提供された別イベントはないことが判明し、シナリオ2は否定されました。
残るはシナリオ1と3です。

<探知翌日(1日目)>
発症者が受診した医療機関が判明しているので、医師に面会してコメントを聴取するほか、検便していればその結果の聴取と検体の分与を依頼します。

探知翌日から翌々日には次々と検便が集まりますので、それらも全て回収に回って検査室に搬入し、検査を依頼します。

この日の夕方までには全員の個別調査表がほぼ集まり、個々の発症の有無と発症時間が明らかになります。

個々の症状がほぼ似通った胃腸炎症状であることをまず確認した後、発症している全員の発症時間を横軸、その時間帯の発症者の人数を縦軸にした積み上げ棒グラフを作成します。

今回の事例ではひとつのピークを持つ山形のグラフが得られました。

このことは、発症者達が、胃腸炎症状を起こすような共通の何かを、ほぼ同時に体内に取り込み、同じような胃腸炎症状を呈していた、ということを疑わせます。

なお、この山形のグラフのもっと早い時期に一人か二人、あるいはもっと多くの発症者がだらだらと先行していた場合、その人達から何かが園内に伝播されて胃腸炎症状を起こした疑い、つまり感染症の疑いが強くなります。

今回はひとつのピークを持つ山形のグラフで先行発症者なし。
食監は食中毒の疑いを強めます。

<2~5日目>
人が症状を起こすレベルの菌量の食中毒起因菌が検体に存在していた場合、通常この日あたりまでには、なにがしかの菌が検出されてきます。

今回は発症者の検便と9/10に提供された給食の検食から、サルモネラ属菌が検出されました。

発症者に共通する食事は給食しかなく、また、9/10の給食を食べていない人は発症していません。
また発症者の症状は、よく知られているサルモネラ感染症のそれと概ね合致していました。

おそらくこの検査結果を得た時点で、9/10に提供された給食を原因とする食中毒として判断したと思われます。

<6日目>
そして9/24、食中毒事件として報道発表。

最終的には園児176人中57人の発症を確認し、患者の検便と保育園で保存してあった検食から検出されたのはSalmonella Infantisでした。

さてしかし、食監の思考はまだ続きます。

謎が3つ。

ひとつ目の謎。
「発症したのは園児だけ。」

保育園の職員は同じ給食を食べていた。
なのに、発症したのは園児だけ。
これをどう説明する?

ふたつ目の謎。
「サルモネラにしては潜伏期間が長い。」

今回の事例は通常知られているサルモネラ感染症より潜伏期間が長い。
これをどう説明する?

このふたつの謎について、報告者は検食にあったサルモネラ菌量に着目しました。

菌量が少なかったために発症するレベルに到達するまで時間がかかったことと、成人はこの低レベルの菌量では発症しなかったのではないかと推測しています。

そして3つ目の謎。
「どこから菌が入り込んだのか。」

当日、サルモネラの原因となりやすい卵や鶏肉は使用していなかった。
また、調理担当者の検便ではサルモネラが出ていない。

こうなると、可能性があるとすれば、次のふたつが考えられる。
①原材料として調理施設に持ち込まれた食材のどれかがサルモネラに汚染されていた
②拭き取り検査に回しきれていなかった施設・器具機械のどこかにサルモネラがいたか、検査するタイミングの前までに洗浄・消毒されてしまっていた

②はもう確かめようがありません。
①について、原材料のキュウリが保存されていましたが、サルモネラは出ませんでした。

3つ目の謎は、残されたままです。

頭にひっかかるものを感じながらも、こうして食監は、ひとつの事件を終えました。

ひっかかるものがあったからこそ、データをまとめ、文献として残した。

彼が残したこの文献にヒントを得る別の食監が、いつの日か、どこかに現れるかもしれませんね。

シナリオを描いて、基礎となる疫学調査データを着々と集め、症状を評価し、グラフ化など、疫学的に解析可能な形で整理しておくことができる人達。

それが食品衛生監視員です。

今回は保育園でしたが、学校や飲食店、ホテルなどなど、現場は多岐に渡ります。
保育園なら幼い子供達と父兄、学校なら学生、飲食店なら子供から老人まで。ホテル利用者なら自宅がはるか遠い他県だったり。
現場が変われば相手も変わるし、営業者へのお願い事も変わります。

食中毒菌についての基礎的知識だけでなく、必要な情報を相手から引き出すコミュニケーション術も必要です。
もちろん、相手を不快にさせないマナーやエチケットも身に付けておかなくてはいけない。

これらを駆使して現場や相手に合わせて的確に情報を収集して整理し、シナリオを作成する。
そして食中毒と判断された場合は、施設に対策を指導し、早期に再開できるように促してやる。

こんな技術は、どっかの講義をちょいと聞きかじったぐらいじゃあ、絶対に無理。
食中毒現場の経験なしには体得できないのです。

いかがでしょうか。
少しでもイメージできていただけたら、嬉しいです。

いただきまーす!」でも食中毒のシーンが出てきます。現場のヒリついた雰囲気を体験していただけたら幸いです。

岐阜県の事例はこちらから。
岐阜県

<参考記事>
「獣医さんなら知っておきたい、保健所の食品衛生監視員はこんな仕事」
「食品衛生監視員が一度は遭遇する悪夢、diffuse outbreak」
「食品衛生監視員の難敵、自然毒」
「保健所の食品営業許可の仕事って、ぶっちゃけどうよ?」
「保健所での犬猫の保護と返還・譲渡の話 」

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