保健所の食品衛生監視員の仕事の大半は、食品営業許可の仕事です。
「ああ、食べ物屋さん回って、許可ってのを出して歩くんでしょ?」
そう、そうなんです。
けれどそいつが中々、厄介な仕事でして…。
今回はその辺を、ちょいとお話します。
こんな食べ物の営業やるんだったら、保健所の許可を取ってからやんなさいよ、って、国が食品衛生法って法律で決めてます。
この法律では、営業形態や作る食べ物の種類により、営業業種を決めてます。
街角の食堂とか居酒屋さんなら飲食店営業、お菓子屋さんなら菓子製造業、魚屋さんなら魚介類販売業、ってな感じですね。
***
とある保健所で食品衛生監視員として働く獣医さん。
いつものように自席で書類を片付けていると、衛生課のドアががちゃりと開き、カウンター前の丸椅子にどかりと座ります。
自席から立ち上がり、恐る恐る彼が尋ねます。
「こんにちは。今日はどんなご相談ですか?」
「あ、居酒屋開くんだけどよ、」
「はい、営業されるのは初めてですか?」
「いや、よそで何年かやっててさ。」
「では書類をお持ちしますね。少々お待ちください。」
これは食品衛生法の許可業種で言えば、飲食店営業。
許可業種としては全国どこの保健所でも圧倒的な件数で、日常的に捌いている案件です。
少しほっとしつつ、彼は続けます。
「簡単で結構ですので、お店の図面を書いてください。」
彼が差し出したボールペンと定規を受け取り、おじさんがシコシコと用紙に書いていきます。
「ここにカウンター。で、流し。下は冷凍冷蔵庫になっててよ。」
「冷蔵庫は業務用ですか?」
「ああ。前の営業者の居替わりでさ、設備もそのまんま使うから。」
ここにトイレ。え?手洗い?出てすぐの所に付いてたよ、窓に網戸?どうだったけな…と、店内の設備について細々やり取りすること、小一時間。
今度は許可申請書と書かれた紙を差し出しながら、彼が尋ねます。
「ここでは主に何を出されるんですか?」
「焼き鳥だよ、焼き鳥。あとは煮込みとか、つまみ、漬け物とか、かな。」
「お刺身は出しますか?」
「いや、しねえよ。」
「お弁当をやる予定はあります?」
「ねえな。」
「じゃあここにお名前とご自宅の住所とご連絡先。その下にお店の住所と連絡先、お願いします。あと、お店の名前、屋号ですね。ここに…。」
彼に言われるまま、おじさんが申請書に書き込んでいきます。
「今、申請していきますか?」
「ああ。早くやりてえからよ。」
「では、お店の確認に行きますので、日時をお約束させてくださいね。」
この日の午前中いかがですか?ああ、そんならその日で頼むよ、と施設の立入検査の日時を約束します。
「では申請するのに手数料がかかりますので。」
「ああそうだったな。で、いくら?」
彼が申請手数料一覧表を出して、おじさんに示します。
「え!こんなに取んのかよ、高っけえなあ。」
「あ、どうもすみません…。」
おじさんがポケットから財布を出そうとしますが、彼が制します。
「あ、すみません、県証紙買ってもらわないといけないんで、下の売店にご案内しますね。」
「へえ、そうなの…。」
憮然とした表情をしたおじさんを連れて、売店で県証紙を買ってもらいます。
衛生課に戻って証紙を貼り、これでまずは一段落。
「じゃあ、お約束の日にお伺いしますんで。」
「ああ、頼むな。」
おじさんは悠々と帰っていきました。
さて数日後、おじさんの店に向かいます。
「こんにちは。では見させていただきますね。」
「ああ、頼むよ。」
申請時に一緒に出してもらった図面を見ながら、お店の間取りや手洗い、トイレ、流しなどなど、設備の位置と構造を確認していきます。
「あれ?カウンター下に冷凍冷蔵庫、あるんでしたよね?」
「ああ、それなんだけどよ。なんかさ、別のと取り替えるからって大家が持ってっちゃってさあ。次のがまだ届いてねえんだよ。」
「ありゃあ。そいつは困りましたねえ…。」
「まあいいよな。来るの分かってんだから。」
「いや、そういう訳にはいかなくてですね、冷蔵庫入ったらまた見に来ますんで。」
「え!カッてえこと言うなよ。ちゃんと入れっからさ。」
「早くやりてえんだよ。もうお客さんにも声かけてんだからよ。」
「いやあ、冷蔵庫入ったの確認できてからでないと、許可の事務、進めらんないんです。」
冷蔵庫入ったら電話ください、すぐ見に来ますから、と言い放ち、逃げるようにお店を出ていく彼。
そして3日後。
ようやく冷蔵庫が入ったとの電話が入り、再びお店に向かいます。
「はい、これで確認取れました。」
「でもいいですか?保健所内の決済が終わってからでないと許可が出ないんですからね、まだ営業できないんですからね。」
「分かってるってばよ。」
ほんとに分かってんのかね…。
なんか嫌な予感がする…。
彼は大急ぎで申請書類を決済に回します。
あ、今、課長んとこにあるな…。
いつもよりだいぶ早く許可が出そうだ…。
もう5時かあ…。
日が暮れるのも早くなったなあ…。
茜色に染まる窓の外。
ようやくパソコンを閉じ、机を片付けていると、同じ食品衛生係の担当が外回りから戻ってきてにっこり笑います。
「お前受け付けしてたあのおやじの店さ、赤ちょうちん出してたね。今日からなんだ。」
「え!」
公用車をすっ飛ばしておじさんの店に乗り付け、がらりと引き戸を開けます。
幸い、まだお客さんは入っていません。
「だめじゃないですかあ!まだ許可出てませんよ!」
「いやあ、すまねえなあ。今日からやるからよって、回りに言っちまってたもんでさあ…。」
「はい!やめてください!お店、閉めて!」
おじさんは渋々、暖簾を下げます。
翌日、衛生課に呼ばれたおじさん。
課長からきつーくお灸を据えられ、始末書を書かされてしょんぼりと帰っていきました。
おじさんの無許可営業の記憶もまだ生々しく残っている、とある日。
衛生課のドアががちゃりと開き、白ワイシャツとスラックス姿の男性が入ってきます。
「あの…。町役場の者ですが、こんなの作って売ろうと思ってるんですけど…。」
「許可って要りますか?」
男性が鞄から小瓶をひとつ取り出します。
「これ、なんですか?」
「ふりかけ、みたいなもんなんですけど。」
「町の特産品にどうだ、って話になりまして…。」
「はあ…。」
「どうやって食べるんですか?」
「なんか、ご飯にかけて食べるもんらしくて…。」
「どうやって作ってるもんなんですか?」
「さあ…。」
…。
「とりあえず、作り方と、どうやって売りたいのか、分かる人連れてきてもらっていいですか?」
そう言いながら振り返り、食品衛生の係の島机や課長、補佐の机をちらちら見渡しますが、みんな聞こえない素振り。
誰も顔を上げようともしません。
カウンターに向き直った彼は、思わず天井を見上げて、ふう、と小さくため息をつきました。
***
どんな食品をどんな風に作って、どうやって食べさせようとしているのか。
これが分からないと、食品衛生法で言うところのどの許可業種に該当するのか、あるいは許可業種に該当しないから届け出で済む営業なんだ、いやいや許可も届け出もいらない業態なんだ、といった、一番大事な判断ができません。
営業許可の現場って、実は、こういう相談が結構多いんです。
そしてそういう案件って、産業振興サイドの地域おこしの取り組みとかに絡まってるケースがほとんどなんで、
「この前保健所でこう言われた」
とか、
「なんでだめなんだ」
などなど、
発案した役所や団体の担当だけじゃなくて、保健所も入ってる同じ県の総合支庁の産業振興担当課やその上層部、はたまた市町村議員さん、県議員からも横槍が入ってきちゃったぞ、
なあんてことも珍しくないのです。
これだけでも十分お腹一杯。
なのに、今度は食品衛生法を所管する国が、HACCPやんなさい、と言ったあげくに、つい最近、許可業種の分類を変えてきちゃったから、もう大変。
分類変わると今までのはどうすんだ、とか今度はどれになるんだ、と、今は全国の保健所の食品衛生担当課で、すったもんだの大騒ぎの真っ最中です。
分厚い例規の簿冊をひっくり返して国や県の通知を読み込んだり、隣県の担当に聞き回ったりして、長年かけてこつこつ積み上げてきた知識。
全部チャラになるわけではないけれど、食品営業許可の経験が長い人ほど、ギャップに苦しんでいるのでしょうね…。
ほんとにお疲れさまです…。
今から食品営業許可の仕事を始めるって方は、真っ白な頭に詰め込む作業を開始するだけなんで、まだましな方。
がんばって積み上げてってくださいね。(笑)
<参考記事>
・「獣医さんなら知っておきたい、保健所の食品衛生監視員はこんな仕事」
・「食中毒に遭遇した食品衛生監視員の思考」
・「食品衛生監視員が一度は遭遇する悪夢、diffuse outbreak」
・「保健所での犬猫の保護と返還・譲渡の話 」